- 2011/11/11
- 文: 松元祐太
- 記事No: 00020
ネパールの祭り ダサイン
朝晩は次第に冷え込むようになり、日本では「食欲の秋」「実りの秋」といった言葉を度々耳にする季節となりました。
今回取り上げるのは、ネパールの秋の収穫祭「ダサイン」です。ダサインはネパールの最大のお祭りで、太陰暦の天体の運行をもとに天文学や占星術の要素を加味し、日程が決められます。今年は10月中旬に終了してしましましたが、11月からはティハールという別の祭りが開かれています。
ダサインにはひとつの特徴的な儀式があります。それは「生け贄」です。
ダサイン中に街中を歩くと、あちこちに生け贄として首を切られたヤギなどがおり、辺りにはおびただしい血が広がっています。これらは女神ドゥルガにささげるための生け贄で、生け贄とされたヤギたちはまつられた後に食されます。
この光景を目にした日本からの旅行者の中には、「グロテスク」だとか「生々しい」、もしくは「肉を食べたくなくなった」ということを口にする人もいます 。
このダサイン祭りの生け贄ということから、今回は二つの問題提起をしたいと思います。一つ目は生け贄という文化についてです。生け贄をささげることは残酷で野蛮であり、非難されるべきなのでしょうか。二つ目は屠殺(とさつ)、動物を殺すことについてです。私たちが普段食べている肉はどのようにしてスーパーにならぶのでしょうか。この二つから「生け贄によって殺されたヤギを食べる」という行為を考えてみたいと思います。
ダサインがそうであるように、現在でもヒンドゥ教においてはヤギを生け贄にするという文化が残っています。ではこの生け贄という文化は野蛮なのでしょうか。
【それぞれの国がもつ食文化】
生け贄と言うのは古くからある文化で、もちろん昔の日本にもありました。それは人柱といって、橋などを作る際に人を近くに埋めたりすることで神に祈りを捧げる方法です。
しかしその文化は廃れていき、今日ではほとんど耳にしません。自分たちが過去に捨てた行為は、今は野蛮だからといってしりぞけられるべきなのでしょうか。
日本人の食生活でマグロや鯨を食することは野蛮だと言われることがあります。こう言われると日本人はどのように答えるでしょうか。マグロを食べるのと生け贄でヤギを殺すのを一緒にするな、それは独自の食文化なのだから余計なお世話だと、多くの日本人から反論の声があがるかもしれません。
しかしこの構図は、生け贄に対して野蛮だと非難されている人たちにも当てはまるのではないでしょうか 。つまり、同様にヒンドゥでヤギを生け贄にしている人たちも、独自の文化なのだから外部から野蛮だと言われるのは余計なお世話だ、と考えているかもしれないということです。
【私たちが食べる肉】
次に屠殺ということを考えてみたいと思います。私たちが普段スーパーなどで目にしている肉はどこで作られているのでしょうか。それは屠殺場です。日本各地に屠殺場はありますが、中でも品川にある東京都中央卸売市場食肉市場が有名です。
ヤギ(豚や牛なども)が殺され食されるというのはどこか違う国の別の文化である、ということは決してありません。今日の私たちは、そのヤギなどの家畜を日常から隠してしまっただけにすぎません。その意味ではダサインの生け贄の習慣は、人間は生き物を殺して食べているという当たり前のことを再認識させてくれます。
【それでも生け贄は野蛮?】
もし、どうしても生け贄は野蛮だという考えから逃れられない人がいるならばお聞きします。生け贄として公で殺し祈りをささげつつ食す行為と、人の目から隠された場所で殺し何も考えずに食す行為、これら二通りの命の食べ方は どちらが野蛮といえるのでしょうか。あるいはどちらかを野蛮と誰が断定できるのでしょうか。
このダサインというお祭りを、以上ように生け贄や屠殺と共に考えると、私たちが当たり前と思っている感覚や価値観を見直すきっかけが見えてきます。
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