- 2011/6/9
- 文: 松元祐太
- 記事No: 00013
東日本大震災訪問記 第5話【栄村と二つの教訓】
【長野の地震が教えてくれた二つの教訓】
大震災の話題は原発を始めとしていまだ冷める気配がありません。しかしその話題になかなかのぼってこない出来事があります。みなさん御存じでしょうか、それは長野県栄村で起きた震度6強の地震です。ここで報道ということについて考えさせられることがありました。
私は5月の17日から19日まで山梨の清里で行われた「先の見えない日々の中に新しい未来を創りはじめる3日間―コミュニティを支える若手を育てる―」というワークショップに参加してまいりました。
なぜ私がコミュニティというものに興味をもったのか、そのきっかけというのは私が長野県栄村へ行ったときにとある言葉を聞いたからです。
4月に行った長野県栄村。ここで私は2つの教訓に出会うことになりました。今回の記事ではこの地震を振り返るとともにこの地震が残した2つの教訓―コミュニティと報道―について考えていきたいと思います。
【3月12日、震度6強発生】
東日本大震災発生からわずか15時間後、長野県の北部から新潟県の南西部を震度6強から弱という巨大地震が襲いました。この時間差から考えると、これは東日本大震災の余震ではないの?と思われます。しかしこの地震は、詳しいメカニズムはわかっていないものの、余震ではないといわれています。不幸中の幸いでしたが亡くなった方はおらず、全員が軽傷で、一時集落が孤立したなどありましたが現在ではそれも解消されています。しかし33棟が全壊するなど大きな被害をもたらしました。
【4月、いざ栄村へ】
東日本大震災のニュースが連日テレビや新聞をにぎわせる中、栄村の情報そのものは頭にあったものの、私もこの地震のことはどこか遠くへいってしまい、関心が向くことはありませんでした。3月中はもっぱら東北のことばかりが頭に浮かび、岩手から帰ってきても次の思いは福島にありました。
ところがある日、インターネットを見ているととある動画を発見しました。
タイトルはその名も「メディアに取り残された村 栄村」です。そう、どうやら忘れていたのは私だけではなかったようです。そして次の瞬間には栄村のボランティア募集のページを見ていました。
栄村のボランティア募集のページ(NPO法人栄村ネットワーク)
隅々まで見ていると、どうやら人手が足りていないようでした。迷うことはありませんでした。この一連の流れの中で、私は勢いだけで参加を決めてしまいます。
それから数日後、車で長野県は栄村にはいりました。
いざ栄村に到着してみるとこのような状態でした。
このように全壊してしまった家屋がいくつか見られ、一見被害がなさそうな家にもこのようなものが貼られていました。
被害は深刻でした。ところがこのように見えることだけが被害のすべてではありません。
この村はお年寄りが多く住んでいます。私がボランティアに行かせていただいた住まいも、80歳以上の方が住んでいるお宅です。(「検閲済み」と押された戦時中の手紙がでてきたりして驚きました。)
これによって被害が深刻化しているといえます。というのも、お年のせいで散乱したものを片付けるのも一苦労、家を離れて慣れない避難所で過ごすのも大変、ということがあるからです。
【コミュニティの強さ―一つ目の教訓】
こうした過疎が進み、お年寄りばかりになってしまう集落を、現在日本では「限界集落」などとよび、否定的に捉えています。上のようにお年寄りばかりの集落は一見すると災害に弱そうです。もちろんこうした困難を無視してはいけません。
しかし私は現地に足を運んでこういった考えは必ずしも正しくないと感じました。というのも、こうしたお年寄りばかりの小さなコミュニティだからこそなしえたこともあったからです。現地で話した女性の方がこうおっしゃっていました。
―こうした小さな町だからみんな、お互い顔は知っているし、避難所に行っても誰がいないというのはすぐわかるんだよ。それに普段からいろいろ助け合ってるから、こういう時こそみんなでおすそわけしたりしてね。
東京ではどうでしょうか。東北の都市部でさえ、最初は安否の確認が難航しました。もし東京で震災が起きた時、隣の住民の顔も名前も知らないようなコミュニティで人々はどのように行動するのでしょうか?
買い占めのようにたとえ恐怖からとはいえ(第3話参照)、多くの人がとにかく自分だけ助かりたい、という行動にでるコミュニティで生きていくのは大変そうだなということくらいは想像できます。(もはやそのような場所をコミュニティと言えるかわかりませんが)
おすそわけ。震災対策なら単に防災グッズをそろえるのもいいかもしれませんが、こうしたつながりを今からでも作っていくことも大事な震災対策なのではないでしょうか。現に、新宿という東京のど真ん中でそれを実践されている方と以前お会いしたことがあります。彼女の話で印象に残っているのは「自分からやり始めること、いろいろ声をかけることが大事!」ということです。
【忘れられた村?―二つ目の教訓】
二つ目の教訓は「多い」「大きい」「ひどい」だけが被害の全てではないということです。
果たして栄村は忘れられていたのでしょうか?
この問いに対する答えは私にはわかりません。確かに首都圏ではあまりニュースとして見ることはありませんでしたが、地元の信濃毎日新聞*では何度も取り上げられていたりします。この問いには答えようがないので、栄村のことをこの記事でお伝えして、もっと栄村が注目してもらえるようにすることは一番の目的ではありません。(もちろん、これを見て栄村に関心を持った、ボランティアに行きたい、と思っていただければ幸いですが)
それ以上にお伝えしたいと思うのは、人がどれだけ死んだか、どれだけ家が壊れたかということだけが大事なのではないということです。確かに栄村は地震の揺れが震度6強と大きかったものの、東北に比べて被害自体は小さかったと言えるでしょう。お手伝いした土蔵は外から見てもなんともありません。原型を留めていることからして、やはり東北と比べて被害は「ひどくない」といえることでしょう。
しかし被災された方はほとんどがお年寄り。数だけに注目していてはわからない被害があります。実際にボランティアして思ったことがあります。私が行った仕事は、若い人ならばボランティアを呼ばなくても時間をかければ一人でできることだったと思います。しかしお年寄り一人ではおそらく難しいでしょう。さらに場所がかなり山間の奥にあるためゴミを捨てに行くのも一苦労だったりしました。
さらにはこの問いは次のような発見ももたらしてくれました。この問いを聞いてから、他にも忘れられている場所があるのではないか、と思うようになったのです。現に私の地元でも、地震で完全に傾いてしまった家があります。しかしそのことはテレビのニュースでは流れません。この家にはもう住めないことでしょう。他にも、言われなければわからない程度、ほんの少しだけ傾いた家というのもあります。しかしその傾きを直すのに多額の費用が必要です。これは見た目には「ひどくない」ことでしょう。しかし被害としては見過ごせるものではありません。
私は全てをニュースで取り上げなくてはいけない!といいたいわけではありません。それは不可能です。ここで大事なのは、ニュースで流れた災害や場所にだけ、または(亡くなられた方などの)数が多いものだけに注目しても、それは十分とはいえないということです。
勢いだけで参加させていただいた栄村のボランティア。ただ人助けをする、ということ以外に非常に大きなものを得たボランティアになったのでした。
*最初にこの記事を公開した際に「信濃毎日新聞」を「長野毎日新聞」と誤表記してしまいました。ここで訂正と、関係者の方々に謝罪申し上げます。大変失礼いたしました。
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大震災の話題は原発を始めとしていまだ冷める気配がありません。しかしその話題になかなかのぼってこない出来事があります。みなさん御存じでしょうか、それは長野県栄村で起きた震度6強の地震です。ここで報道ということについて考えさせられることがありました。
私は5月の17日から19日まで山梨の清里で行われた「先の見えない日々の中に新しい未来を創りはじめる3日間―コミュニティを支える若手を育てる―」というワークショップに参加してまいりました。
なぜ私がコミュニティというものに興味をもったのか、そのきっかけというのは私が長野県栄村へ行ったときにとある言葉を聞いたからです。
4月に行った長野県栄村。ここで私は2つの教訓に出会うことになりました。今回の記事ではこの地震を振り返るとともにこの地震が残した2つの教訓―コミュニティと報道―について考えていきたいと思います。
【3月12日、震度6強発生】
東日本大震災発生からわずか15時間後、長野県の北部から新潟県の南西部を震度6強から弱という巨大地震が襲いました。この時間差から考えると、これは東日本大震災の余震ではないの?と思われます。しかしこの地震は、詳しいメカニズムはわかっていないものの、余震ではないといわれています。不幸中の幸いでしたが亡くなった方はおらず、全員が軽傷で、一時集落が孤立したなどありましたが現在ではそれも解消されています。しかし33棟が全壊するなど大きな被害をもたらしました。
【4月、いざ栄村へ】
東日本大震災のニュースが連日テレビや新聞をにぎわせる中、栄村の情報そのものは頭にあったものの、私もこの地震のことはどこか遠くへいってしまい、関心が向くことはありませんでした。3月中はもっぱら東北のことばかりが頭に浮かび、岩手から帰ってきても次の思いは福島にありました。
ところがある日、インターネットを見ているととある動画を発見しました。
タイトルはその名も「メディアに取り残された村 栄村」です。そう、どうやら忘れていたのは私だけではなかったようです。そして次の瞬間には栄村のボランティア募集のページを見ていました。
栄村のボランティア募集のページ(NPO法人栄村ネットワーク)
隅々まで見ていると、どうやら人手が足りていないようでした。迷うことはありませんでした。この一連の流れの中で、私は勢いだけで参加を決めてしまいます。
それから数日後、車で長野県は栄村にはいりました。
いざ栄村に到着してみるとこのような状態でした。
このように全壊してしまった家屋がいくつか見られ、一見被害がなさそうな家にもこのようなものが貼られていました。
被害は深刻でした。ところがこのように見えることだけが被害のすべてではありません。
この村はお年寄りが多く住んでいます。私がボランティアに行かせていただいた住まいも、80歳以上の方が住んでいるお宅です。(「検閲済み」と押された戦時中の手紙がでてきたりして驚きました。)
これによって被害が深刻化しているといえます。というのも、お年のせいで散乱したものを片付けるのも一苦労、家を離れて慣れない避難所で過ごすのも大変、ということがあるからです。
【コミュニティの強さ―一つ目の教訓】
こうした過疎が進み、お年寄りばかりになってしまう集落を、現在日本では「限界集落」などとよび、否定的に捉えています。上のようにお年寄りばかりの集落は一見すると災害に弱そうです。もちろんこうした困難を無視してはいけません。
しかし私は現地に足を運んでこういった考えは必ずしも正しくないと感じました。というのも、こうしたお年寄りばかりの小さなコミュニティだからこそなしえたこともあったからです。現地で話した女性の方がこうおっしゃっていました。
―こうした小さな町だからみんな、お互い顔は知っているし、避難所に行っても誰がいないというのはすぐわかるんだよ。それに普段からいろいろ助け合ってるから、こういう時こそみんなでおすそわけしたりしてね。
東京ではどうでしょうか。東北の都市部でさえ、最初は安否の確認が難航しました。もし東京で震災が起きた時、隣の住民の顔も名前も知らないようなコミュニティで人々はどのように行動するのでしょうか?
買い占めのようにたとえ恐怖からとはいえ(第3話参照)、多くの人がとにかく自分だけ助かりたい、という行動にでるコミュニティで生きていくのは大変そうだなということくらいは想像できます。(もはやそのような場所をコミュニティと言えるかわかりませんが)
おすそわけ。震災対策なら単に防災グッズをそろえるのもいいかもしれませんが、こうしたつながりを今からでも作っていくことも大事な震災対策なのではないでしょうか。現に、新宿という東京のど真ん中でそれを実践されている方と以前お会いしたことがあります。彼女の話で印象に残っているのは「自分からやり始めること、いろいろ声をかけることが大事!」ということです。
【忘れられた村?―二つ目の教訓】
二つ目の教訓は「多い」「大きい」「ひどい」だけが被害の全てではないということです。
果たして栄村は忘れられていたのでしょうか?
この問いに対する答えは私にはわかりません。確かに首都圏ではあまりニュースとして見ることはありませんでしたが、地元の信濃毎日新聞*では何度も取り上げられていたりします。この問いには答えようがないので、栄村のことをこの記事でお伝えして、もっと栄村が注目してもらえるようにすることは一番の目的ではありません。(もちろん、これを見て栄村に関心を持った、ボランティアに行きたい、と思っていただければ幸いですが)
それ以上にお伝えしたいと思うのは、人がどれだけ死んだか、どれだけ家が壊れたかということだけが大事なのではないということです。確かに栄村は地震の揺れが震度6強と大きかったものの、東北に比べて被害自体は小さかったと言えるでしょう。お手伝いした土蔵は外から見てもなんともありません。原型を留めていることからして、やはり東北と比べて被害は「ひどくない」といえることでしょう。
しかし被災された方はほとんどがお年寄り。数だけに注目していてはわからない被害があります。実際にボランティアして思ったことがあります。私が行った仕事は、若い人ならばボランティアを呼ばなくても時間をかければ一人でできることだったと思います。しかしお年寄り一人ではおそらく難しいでしょう。さらに場所がかなり山間の奥にあるためゴミを捨てに行くのも一苦労だったりしました。
さらにはこの問いは次のような発見ももたらしてくれました。この問いを聞いてから、他にも忘れられている場所があるのではないか、と思うようになったのです。現に私の地元でも、地震で完全に傾いてしまった家があります。しかしそのことはテレビのニュースでは流れません。この家にはもう住めないことでしょう。他にも、言われなければわからない程度、ほんの少しだけ傾いた家というのもあります。しかしその傾きを直すのに多額の費用が必要です。これは見た目には「ひどくない」ことでしょう。しかし被害としては見過ごせるものではありません。
私は全てをニュースで取り上げなくてはいけない!といいたいわけではありません。それは不可能です。ここで大事なのは、ニュースで流れた災害や場所にだけ、または(亡くなられた方などの)数が多いものだけに注目しても、それは十分とはいえないということです。
勢いだけで参加させていただいた栄村のボランティア。ただ人助けをする、ということ以外に非常に大きなものを得たボランティアになったのでした。
*最初にこの記事を公開した際に「信濃毎日新聞」を「長野毎日新聞」と誤表記してしまいました。ここで訂正と、関係者の方々に謝罪申し上げます。大変失礼いたしました。
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